ワケあって求める場所に出かけられない日が続き、ひどく不満な毎日を過ごしていた。
この鬱屈した日々の中で読書をしている間だけでも、ここではないどこかに連れて行ってくれる、そんな物語を探していた。
ふと、
ある本が目に留まった。
見覚えがある。
この本とは、すでに一度会っている。
小学生の頃に図書館で読みかけたことがあるのだ。
おどろおどろしい牙をこちらに向けて睨みつけている魚の表紙。
文中に添えられた写真は、日本ではおおよそお目にかかれないであろう奇想天外・キテレツな格好をした得体の知れない魚たちばかり。
そして、文章の内容はよく分からない。
小学生には難しい変な本を手に取ってしまったと後悔し、そーっと棚に戻したあの日を思い出した。
苦笑いにも似たような感情を抱きながらも本を手にとってパラパラめくり、ハッとした。
この本こそが鬱屈した日々の中で、ここではないどこかへ連れて行ってくれるにちがいない。
そう確信したのは、本文直前に出てきた献辞を読んだからだ。
何かの事情があって
(オーパ,開高健 -献辞-)
野外へ出かけられない人、
海外へいけない人、
鳥獣虫魚の話の好きな人、
人間や議論に絶望した人、
雨の日の釣り師・・・・・・
すべて
書斎にいるときの
私に似た人たちのために。
本書の内容
本書は、開高健氏がアマゾン川での釣りに挑んだ紀行文。
魚を主軸とする鳥獣虫魚にまつわる数々のエピソードや現地での生活模様が描かれている。
その内容に驚くことは必至だ。
釣りをする人にはもちろんのこと、釣りをしたことがない人でも生き物が好きだったり、旅好きの方であれば心躍る内容となっている。
ちなみに僕自身は、
釣りもするし、
生き物好きだし、
旅をするのも好きなので、
ドストライクこの上ない一冊だった。
「オーパ!」の意味は?
何事であれ、
(オーパ,開高健 -冒頭-)
ブラジルで驚ろいたり
感嘆したりするとき、
「オーパ!」という。
タイトルの「オーパ!」という言葉は、ポルトガル語の「Ôpa!」のことで、驚きを表す感嘆詞だそうだ。試しに本書を読んでいる最中、驚く内容に出くわすたびに心の中で
(……オーパ!……オーパ!……)
と、呟いてみた。なんだかクセになりそう。
沁みる古諺・銘句
釣り好きの方なら以下の古諺を見聞きしたことがあるかもしれない。
一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
(オーパ,開高健 -中国古諺-)
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。
このような古諺や数々の銘句が登場し、本書に対する陶酔感を加速させていくのだ。
オーパ!な写真たち
写真は、写真家の高橋曻氏によって撮影されたものである。
旅中で出会った鳥獣虫魚たち、現地の光景などの写真たちが読者を驚かせる。
文章で驚き、写真でまた驚くのだ。
オールカラーでかつ写真のボリュームが多いので、適当にパラパラめくって写真を眺めるだけでも充分面白い。
そこに、開高氏の文章が加われば尚のことだ。
臨場感あふれる文体
宮殿の炎上するような積乱雲の燦爛たる夕焼けのなかを、一群また一群、サギが三角陣をつくってよこぎっていく。全身汗と脂でねばねばするけど、私は清浄そのものの水と藻の匂いのなかで、リールのきしむ音、竿のたわむ音、満々たる精力と憤怒のほとばしるままに水面を跳ね狂うトクナレに恍惚となる。
(オーパ,開高健 -第三章 八月の光-)
本書の魅力はなんといっても、開高氏の臨場感溢れる文体にある。
中でも釣りの様子を描写している文章は、まるで自分もその場にいるかのような気分にさせられてしまう。
その茫漠たる景色、その匂い、その皮膚感覚。
道具から伝わる生命感。
筆者の歓喜に読者もまた歓喜することだろう。
しかし、歓喜・感動だけが本書の魅力ではない。
破壊されゆく自然環境を目の当たりにしたときの動揺、嘆き。
冒険の終わりを予感させる旅愁感。
どこか漂う物悲しい雰囲気にも心惹かれるのだ。
おわりに
『オーパ!』は読者を冒険に連れ出して、
驚嘆させたり、
心躍らせたり、
笑わせたり、
哀愁を感じさせてくれる。
そんな一冊だ。
本書を読んでいて自身の気分が高まっていくのを感じたが、読後も未だ昂揚感を抑えられないままでいる。
この昂揚感は自身が実際に冒険してみるまで落ち着きそうにないだろう。
あなたの文体にはいい年をした大人衆をそそのかす要素があるらしいです。
(オーパ,開高健 -第一章 神の小さな土地-)
開高氏が手紙越しでそう言われたシーンを思い出し、苦笑した。
そそのかされた一人の青年は遠き彼方に想いを馳せ、密かに計画を練りつつ道具の手入れを始める。
鬱屈した日々の中で来るその日を待ち望みながら。