動物と話せる魔法の指環はいらない|『ソロモンの指環』コンラート・ローレンツ

今回の記事で紹介する本は、

コンラート・ローレンツ氏の『ソロモンの指環<動物行動学入門>』

動物好きの人にオススメの本というのを見聞きし、買ってみたのはいいものの、
『動物行動学入門』というサブタイトルがお堅いオーラを醸し出しており、すっかり身構えていた。

さらにまえがきでは、この本は”怒り”から生まれたものであるとローレンツ氏は告白している。

なににたいする怒りか?こんにちありとあらゆる出版社から刊行されているおよそ悪質な虚偽にみちた動物の話にたいする怒り、動物のことを語ると称しながら動物についてなにひとつ知らぬ筆者にたいする怒りだ。

(ソロモンの指環〈動物行動学入門〉,コンラート・ローレンツ/日高敏隆 訳 -まえがき-)

対象とする動物のことをロクに知らないのにも関わらず、安直な擬人化や本来その動物がするはずないような行動を詩的に表現された書籍が世の中に出回っていることがガマンならなかったようである。

「これは背筋を正して読まねばならない」

お菓子をつまみながら読んだり、フトンの上で寝そべりながら読んではならないのであると思い始めたら、まえがき以降からなかなか読む気になれず、しばらく積ん読状態になっていた。

はやい話、怖気付いたのだ。

長い歳月を経てようやく心の準備ができたので、いざ読んでみると筆者の動物に対する深い観察力と幅広い知識、そして筆者と動物のユニークなエピソードが盛り沢山の面白いエッセイだった。

本書の内容

本書の内容は、動物の行動観察のみならず、アクアリウム論、ペット論など多岐わたっており、それらの内容はいずれもローレンツ氏の動物に対する哲学を感じる。

本書は主に、
トウギョ(ベタ)、トゲウオ、ヘリティクス・キアノグッタートゥス(テキサスシクリッド)といった魚類、コクマルガラス、ハイイロガンといった鳥類、哺乳類ではサルやイヌにまつわる話が紹介された。

特に鳥類にまつわるエピソードが多かったように思う。

ユーモアあふれるエピソード

家でたくさんの種類の動物を放し飼いにしていた筆者。できる限り自由の中で暮らす動物を観察したかったのだろう。

動物は筆者の家族によく懐いていたようで、逃げたりはしなかったようだ。

むしろ、家の中によく入ってきて手を焼いたという描写が随所にみられる。

「あ、鳥がカゴから逃げちゃった。はやく窓をしめて!」

ーよその家ならこう叫ぶ。私の家では反対だー

「おうい、窓をしめてくれ!オウムが(カラスが、オマキザルが)入ってくる」

(ソロモンの指環〈動物行動学入門〉,コンラート・ローレンツ/日高敏隆 訳 -1 動物たちへの忿懣-)

動物が逃げてしまわないように金網を設置するのではなく、家に入ってくるのを防ぐために金網を置いていたというエピソードは傑作だった。

また、家にはまだ幼い娘がいたようだが、そのころ大型で危険な動物たち(数羽のワタリガラス、2羽のオオバタン、2匹のモンゴス・キツネザル、1匹のオマキザル)を飼っていた。

さすがに子どもといっしょにしておくわけにはいかないということで、
庭に大きなおりをつくってその中へいれたようである、

娘を。

おおーっ・・・・・・(汗)

他にも、

・部屋中を動物のフンまみれにされるのは日常茶飯事当たり前

・飼っている内のあるカラスがローレンツ氏の口や耳にミールワームを押し込んでくる

・ある日突然いつもは親切なはずの隣人に空気銃で飼ってる1羽のカラスをうち殺される

本書に登場するエピソードはたびたび常軌を逸していたりするけれども、それでも動物たちと一緒に暮らすのをやめなかった筆者は本当に動物を観察するのが好きだったのだろう。

動物の行動を凝った表現で描写

本書を読み進めていくと、ローレンツ氏の観察力は凄まじいものだと舌を巻いたが、同時にその様子を緻密に描写する力も見事だなーっと感じた。

動物の行動を記す表現は、ときに緻密なものだったり、ときに詩的なものだったりで凝った表現も見受けられた。

実際、動物学者で本書の訳者でもある日高敏隆氏は、ローレンツ氏のドイツ語を訳すに当たってかなり苦労されたこともあったようだ。

ガンの卵の中では、今なにか大切なことが進行しているにちがいない。卵に耳をあててみると、中でカリカリゴソゴソいう音がきこえる。そのあいまにほら、ピープとひびく低くやさしい声がはっきり聞きとれる。一時間もたつと、やっと卵に穴があく。そしてその穴から鳥の最初の姿がチラリとみえる、卵歯をかぶった鼻先が……頭がさかんに動いて、卵歯が卵のからに推しあてられる。卵歯はただからをひっかくだけではない。ヒナは卵の長軸のまわりにゆっくりと背中のほうへ回転する。そこで卵歯は卵のからにそって「輪」を描いて動き、この線にそって一連の裂け目をつくってゆく。ついにその輪が閉じたとき、卵の鈍端全体が首まで押しあげられ、ヒナが外の世界へ顔を出すのである。

(ソロモンの指環〈動物行動学入門〉,コンラート・ローレンツ/日高敏隆 訳 -7 ガンの子マルティナ-)

ハイイロガンが孵化するエピソードが個人的に気に入っていた。

孵化する様子がとても丁寧に描かれており、実に神秘的で何とも言えぬ味わい深さをこの文章に感じていたのだが、これが凝ったドイツ語から訳されたものなんだなと思うと震える。

動物と話せる魔法の指環はいらない

旧約聖書の述べるところにしたがえば、ソロモン王はけものや鳥や魚や地を這うものどもと語ったという。
そんなことは私にだってできる。ただこの古代の王様のように、ありとあらゆる動物と語るわけにはいかないだけだ。
その点では私はとてもソロモンにかなわない。けれども私は、自分のよく知っている動物となら、魔法の指環などなくても話ができる。
この点では、私のほうがソロモンよりも一枚うわてである。ソロモンは指環なしでは彼にもっとも親しい動物の言葉すら理解できなかったのだから。

(ソロモンの指環〈動物行動学入門〉,コンラート・ローレンツ/日高敏隆 訳 -6 ソロモンの指環-)

本書表題章の冒頭部分。本書を語る上で外すことのできない文章だ。

さまざまな動物と暮らし、観察してきたローレンツ氏。

よく知っている動物となら、魔法の指環なんてなくても話ができると自信満々に語る。

その自信は、これまで膨大な時間をかけてさまざまな動物を観察し、その行動や振る舞いの理由を一つずつ解明してきた確かな理解と経験に由来するものにちがいない。

まえがきには本書を執筆した原動力は怒りだったと語っているが、エッセイの中では動物に対する深い愛情を至るところで感じる。

私がさっきも告白したように、たしかにこの本は怒りをもって書かれたものであるけれども、その怒りは、やはり愛から生まれたものなのだから。

(ソロモンの指環〈動物行動学入門〉,コンラート・ローレンツ/日高敏隆 訳 -まえがき-)

読んでみて良かった、そう思える一冊だった。

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